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朝日新聞より  

東京・九段の靖国神社。猛暑の境内に、濃い灰色のスーツを着た元外交官・東郷和彦氏(69)=京都産業大学教授=の姿があった。

 

「ここに立つと、神道の雰囲気を実感しますね」靖国神社は、戦死した日本軍人・軍属らを「神」としてまつる神社だ。そこに和彦氏の祖父も含まれている。太平洋戦争期に外相を務めた東郷茂徳(1882〜1950)だ。文官である外相がなぜ、まつられているのか。A級戦犯だからである。41年12月、太平洋戦争が始まったときの外相が茂徳だ。敗戦後に戦争指導者として逮捕され、巣鴨プリズン(東京)に収容される。東京裁判(極東国際軍事裁判)で48年、禁錮20年の判決を受けた。2年後、服役中に病死した。67歳だった。茂徳の女婿は外務事務次官だった東郷文彦(1915〜85)で、その息子が外務省条約局長などを務めた和彦氏だ。和彦氏は「3代目」の外交官だった。巣鴨にいた著名な祖父を持つもう一人の人物が、安倍晋三首相(59)である。「お前のじいさんはA級戦犯の容疑者じゃないか」子供のころから言われてきた、と首相は自著で明かしている。そうした言葉への反発から自分は「保守」に親近感を持ったのかもしれない、とも。祖父とは、元首相の岸信介(1896〜1987)である。岸も開戦時の閣僚(商工相)だった。A級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに約3年間、幽閉された。東条英機元首相ら7人の絞首刑が執行された48年12月、不起訴で釈放された。53年の衆院選で政界に復帰。57年に首相の座に就いた。東京裁判は勝者による一方的制裁だ、犯罪人という意識は全くなかった――後に岸はそう語っている。岸の女婿は安倍晋太郎元外相(1924〜91)で、その息子が晋三氏。現首相もまた3代目である。昨年12月、安倍首相は靖国神社に参拝した。同神社には78年に、14人のA級戦犯が合祀(ごうし)された。その後、戦争指導者を神とする神社に首相が参拝することの是非が政治・外交問題となった。合祀された14人の1人が東郷茂徳だ。「遺族として合祀はありがたいことだと思っている」と孫の和彦氏は話す。だが近年は、首相による参拝は一時停止されるべきだと訴えている。「遺族としての情と国益は分けて考えねばならない」という。戦死者の追悼はどうあるべきか、戦後という時代をどう評価するか――孫たちの判断は一様ではない。(編集委員・塩倉裕)

■「戦争責任」自ら見つめる「いざ児等(こら)よ/戦ふ勿(なか)れ/戦はば/勝つべきものぞ/ゆめな忘れそ」巣鴨プリズンで東郷茂徳が詠んだ歌の一つだ。子どもたちに「戦争をしてはいけない」「戦争するなら勝つ戦争でなければならない」と説き、この二つを決して忘れるな、とする。その茂徳の墓は、東京の青山霊園にある。命日にあたる今年7月23日、孫の和彦氏はその前で手を合わせた。「日本は今、中国と戦争になるかもしれないほどの危機に直面している。戦後で最も現実味のある危機だ。祖父の歌があてはまる状況にある」祖父茂徳は、日米開戦の危機が迫った1941年10月、外相に就任した。「米国に勝てる見込みがあるのか」と軍部に反論し、戦争回避に努めたが、日本は真珠湾攻撃に突入する。敗色濃厚になった45年4月、茂徳は再び外相に迎えられる。徹底抗戦・本土決戦を叫ぶ軍部を相手に、早期終戦を主張し、昭和天皇の「聖断」による降伏へと、道を開いた。「帝国主義の時代にあって非軍事主義の外交を追求した点に、茂徳の特徴がある」。戦争史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康氏はそう語る。東京裁判で茂徳は、侵略戦争の指導者責任を問いただす連合国側に、対米開戦は追い込まれた末の自衛戦争だったと応じた。孫の和彦氏は子ども時代、母親から何度もこう聞かされた。「おじいちゃまは戦争にならないよう粉骨砕身、努力したのよ」90年代後半、外務省幹部だった和彦氏は自民党の右派議員から、「外務省はなぜ東京裁判の不当性を批判してこなかったのか」と突き上げられたという。〈東京裁判が勝者の裁きだったことは先生から教えていただかなくてもたたき込まれております〉〈その裁判を受け入れてスタートした戦後日本がどうやって国際社会で生きていくか、それを僕らは一生懸命やっているんじゃないですか〉――そう言い返したい思いを胸に押しとどめた。

■「東京裁判を否定するからこそ…」今月12日。山口県田布施町にある岸信介の墓前に、紺のスーツを着た安倍晋三首相の姿があった。線香をあげ、10秒ほど静かに目を閉じた。岸は戦前、日本が中国に設立した満州国の実力者として頭角を現した。戦後は、巣鴨から釈放後、「憲法改正」をかかげて日本再建連盟を作り、占領軍による「押しつけ」への反発をバネに政界を駆け上がった。岸に詳しい国際政治学者の原彬久(よしひさ)氏は、「占領下で作られた戦後体制は米国の国益の産物だ、と岸は考えた。その体制を打ち破ることが政治家・岸の目標だった」と話す。首相として手がけた安保条約の60年改定では、旧条約の不平等性を改めた。孫の安倍首相も、憲法改正や「対等な日米関係」を前面に押し出す。「安倍さんは、祖父の『未完成交響曲』を遺産相続し、書き上げようとしている」と原氏は見る。安保改定をなしとげた岸について、和彦氏は「尊敬している」という。「安全保障の面では、大胆に戦後を見直そうという安倍首相にも賛同する。だが、歴史認識の面では謙虚さが要ると思う」和彦氏は06年、首相による靖国神社参拝は一時停止すべきだと提言した。小泉純一郎首相の参拝が続き、日中首脳会談がとだえていた。まずは戦争責任についての国民的議論をおこし、そのうえで戦犯合祀(ごうし)問題の解決法を見いだすべきだ、と呼びかけている。では、はたして戦争責任について日本人は戦後、自らの手で考えを提示してきたのだろうか。「1回だけある」と和彦氏は見る。戦後50年にあたる1995年、当時の村山富市首相が発表した談話だ。談話は「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛」を与えたと認め、「痛切な反省の意」と「お詫(わ)びの気持ち」を表明した。「私は、東京裁判を否定するからこそ、日本人が自らの判断で出した村山談話の価値を認めるのです。戦争責任に関しては、村山談話は戦後日本の最高の到達点であり、宝だ」と和彦氏は語った。一方、安倍首相が昨年靖国神社に参拝したことについては、中国を挑発する行為になりかねないと危惧している。あのときは、米国も「失望した」と表明した。「日本が不要に挑発したと見える紛争に自国兵を送るほど米国は甘くない」と和彦氏は言う。  「これは、『文化の戦い』でもある。米国や中国の発想と心理を深く知ったうえで、彼らをして『なるほど』と思わせるメッセージを出さなければいけない。さもないと、日本は国際的に孤立してしまい、その『文化の戦い』に敗北する」(編集委員・塩倉裕)      

◇ 〈東京裁判(極東国際軍事裁判)〉 ドイツの指導者を裁いたニュルンベルク裁判にならって連合国が設置した。裁判官は、米、英、仏、ソ連などの11カ国から各1人の計11人で構成された。1946年5月に開廷し、48年11月の判決では、戦争を指導したA級戦犯25人全員に有罪を宣告。うち東条英機元首相ら7人が絞首刑となった。従来の国際法になかった「平和に対する罪」などの類型が加わったことから、あとからつくられた法で裁くのはおかしい、などの批判がある。原爆投下など連合国の行為は問われず、被告の選定基準にもあいまいさがあった。一方、戦争の残虐な実態や軍部の謀略を明らかにした、戦争というものを裁く国際法の流れの先駆けになった、などの評価もある。日本は、主権を回復したサンフランシスコ講和条約(51年調印)で裁判を受諾した。

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